ちゃんと、平穏 を感じて生きていますか?ぶれたら戻せてますか?

ちゃんと毎日に平穏を感じる時間帯があり、それが波があってもだんだん長くなっていますか?

ある出来事に遭遇したり、気分が落ち込んだり、振り回されていたとしても、ちゃんとぶれたことに気付いて戻せていますか?

自分より上に、この人は正しい、という人の意見を取り入れることで、自分の気持ちやしたいことに蓋をする、ということをだんだんなくせていますか?

一か月前、二か月前、半年前とくらべて、自分自身がどんどん楽になったり、苦しい思いをする時間が減ったり、物事が少しずつでも解決してきたり、ましになったりしていますか?


もし、YES ならば、それはよいことです。

平穏を感じなくとも、状況が非常に困難な状態で苦しんでいる方も、「自分の人生をちゃんと生きるのだ」と決めることができて少しでもあゆみだしている状態なら、それはすばらしいことだと思います。


人は、転職、やらお金をゲットする、等の目標をかかげますが、ようは自由になる、とか、幸福で満たされる、というような状態を目指しているのだと思います。

人から認めてもらったり、物を獲得したりというようなことはそのための手段であり、目的ではありません。


ですが、せっかくある程度の状態が獲得できていき、完全なる自由や幸福度をえていくようにみえながら、これがひっくり返ってしまうことがあります。

人から認めてもらったり、物を獲得したり、というのは、一時的には満たされますが、ずっと自身を満たしてくれるものではありません。
永遠の解決方法にはならないのです。



そのために、自分で自分自身を認めていく、ということが大事なのです。

これは自分に戻っていく作業が進んでいくほど、より厳しくつきつけられていくものの一つです。

本当に自分か、どうか。本当に自分自身を信頼しているのか、どうか。

なにか権威や道具に頼っていたとしたら、それが自分にとってすでに導き手とならず、まだ残る虚、不安や恐れを埋めるために執着している段階となったら、それはしっかりと自分で気付き、その執着を断ち切っていかなくてはなりません。

それは生活のあらゆる面ででてきます。

そして、そのために求めた自分自身を満たしていく手法においても、本当は個人でできるはずなのに、じぶんより上に「正しい」とか「権威」というものを置いたとたんに、「正しい」とか「権威」に認めてもらうほうに主軸がうつっていってしまったりするものです。


「認めてもらいたい人」「認める人」は共依存です。

共依存なので、ずっとこの状態が続いていきます。


今、本当に、自分軸に戻すために、自分自身と向き合い、取り組んでいますか?

共依存に陥ったりしていませんか?

共依存は、敬意、や愛、とも似ているようにみえて、違うものです。

また相手をせめたり、極端な方法で断ち切ることはあらゆることにおいて、有効な手段とはいえません。



大事なのは、自分の心を精査すること。それにつきます。

現在、多くの人がそれに取り組んでいますが、自分自身をしっかり精査することで、自由を獲得していっています。

自分でできる作業なのです。権威、はいりません。




意識を整えていくことで楽になっていく。

これまで

自分を観察すること
本音をちゃんと自分でみてみること (たとえ論理的に破綻していようとも、自分勝手な感情や思いであったとしても)
自分を客観的にみずに主観で決めていくこと

& 上記をやるための手段などをあれこれ伝えてきたつもりだけど

これはすべて、意識を整えていくためだ。

つまり、いいことばかりしてテンションをあげよう、とか自分の本当にしたいことをしていい気分でいよう、といっても心がズタズタでもうにっちもさっちもいかない状態では、なかなか無理だから。

それに自己肯定感が低い状態だとなにを実行したとしても苦しいし、生命エネルギー使っちゃうし、そもそも怖くてなにもできない、めっちゃ容量を使ってしまう、ということが多い。

だからこそ、行動を起こす前に、日常をひーひーいいながらなんとかこなしながら上記3点で整理をつけるのがさきじゃろ、それが一番効率的だろ、と思って伝えているわけである。

ただ、時間はかかる。

大変な状況で、大変苦しいのはわかる。はっきりいって気持ちの整理は現象化しないからありがたく、そして楽ではあるが、それは比較の問題で、自分の気持ちの苦しさと向き合うのは、それはそれで苦しいもんである。

でも、これまた比較の問題で、やるしかない。

現実的な対処の仕方でもう気持ちがどん底なんだし、、、社会的に空虚な気持ちをもっている人がたくさん。ならばそれは表ではうまくまわっているかもしれないが、それは社会の破綻が起きているということで、多かれ早かれ、崩れていくのだ。

だから、その前に取り組んじゃえば、現実的突破口がなくても他の方法で私は対処できるから大丈夫、っていう杖があるのは、ありがたいし、救いだな~と思うよ。

なんだよ、役にたたないよ、って1年で思うのは早くて、数年やってみて、ん?結構かわってきたわ。いや~変わった。と10年前を比較してすごいわ~とびっくりする、というスパンで変わっていくもの。

その間にも、大きなジャンプ変化もあったりするから、楽しかったりするし、やる気はあがっていく。

そして落ちても上がり方がわかってすぐ軌道修正できるので、自分の人生を自分でだんだん操縦できるようになっていく。ということだ。


誰も自分の前に師匠をたてず、自分で進められるのはいいことじゃないか、と思う。

もちろん、他人からの手助け、や助力をえることは、私だってばんばんしてる。

そうやって自分のためにやっていくと、そのうち、どこにいても、どこであっても自分自身でいられて、心地よい時間がふえていく。

ただ、そのためにやっているのだ。

能力は、それに付随してあがる。心配しなくても。

リーディングとは

リーディングとは、相手との共通領域を作り、そこから情報をえることです。

または、なにか媒介をたてる場合には、そこを経由しているという形でやはり情報をえるということです。

このとき、リーディングをしている側は、気付きという形で情報をえます。

よいリーディングは、制限をなるべく排除し、偏見や判断を下すことなく、もしくは脇において情報をとらえることです。

リーディングはテクニックというよりも、自分自身をよく知り、そしてどのように情報をえているかということをしっかりと自覚すること。

また、自分自身をいつも省みて、情報を提供する方との間に、もしくは自分自身の状態を確認するという厳しさがよいリーディングの条件だと私は思っています。


私の行っているカードリーディング講座は、リーディングだけではなく、受講者が情報を扱うのにより容易となるようにアドバイスをしています。そして、カードを扱っていくことにより、あらゆる感覚を研ぎ澄ます基礎を伝えています。

自分自身の課題に取り組むことにより、より深いリーディングができるようになるのです。

テクニックの問題ではありません。